リンゴが食べられない人に、フルーツハラスメントしないでください
今週のお題「赤いもの」
最初に連想したものはリンゴだった。
私はリンゴが好きではない。
幼少より、リンゴを食べると喉の奥が痒く感じたり、鼻が詰まったりした。
私はそれを必死で訴え、リンゴを食べたくないと申し出たのだが
誰一人理解してくれる大人はいなかった。
大人たちは口を揃えて「そんなわけないでしょ」と言った。
私は好き嫌いで食べたくなかったわけじゃない。むしろリンゴの味や食感が好きだった。それでも食べた後に待っている苦しさと天秤にかけると、どうしても食べるという選択に積極的になれなかったのだ。
助けてくれる人は誰もいなかった。
昔は花粉症の社会人も周囲の理解が得られず大変な思いをしたと聞く
今でこそ国民全員が花粉症なのか?というくらい情報が共有されており
対策グッズも処方薬も充実している。まさに市民権を得たという感じだが
昔は目が痒くても鼻水が止まらなくても、どんなに仕事に没頭できる状態になくとも、そうでない人物と同じパフォーマンスを求められ、弁解の余地は与えられなかった。
幼少期、リンゴで苦しんだ私は、今大人になってある程度の管理業務に就いた。
人の多様性を大切にしたいと心では思う。行動も伴うように努力したいと思っている。
私から見えて「そんなわけないだろ」と思うようなことも、そんなわけないかもしれないけどもしかしてそうなのか?と相手の立場になり、相手の感じていることを想像する力、相手のみている景色を見ようとする姿勢を持ち続けたい。
私は今でもリンゴは食べない。
どんなにおすすめされようが、恩着せがましく言われようが、リンゴを食べると体調に変化をきたすことをしっかり相手に伝えて免除してもらっている。それは権利だ。そして啓発活動だ。
私の他にもリンゴや、その他果物が食べられない人には勇気を持って欲しい。
フルーツハラスメント被害者の会を設立しよう!
とまでは言わないが、果物を拒むことが罪のように蔑まれる筋合いはない。
リンゴが好きな方
リンゴを生産している方
リンゴを人にお裾分けしたい方
どうか、リンゴを愛してやまない人にだけしてあげてほしい。
私のような、リンゴを食べたくない人がいることを認めて、あとはそっとしておいてはくれないだろうか?
なんか、こうしてリンゴについて振り返ってみると
私はリンゴ以外の果物も好きではないことに気づいた。
これはきっと、リンゴからくるトラウマが果物全般に飛び火したのだろうな。;
幼少期の経験は人生に大きな影響を及ぼす。
幼き頃にあげた小さくも勇気ある訴えこそ、私たち大人はありのまま認めてあげることが必要なのだと思う。
無条件の承認
リンゴが食べれなくてもいいんだよ、あなたの存在が素晴らしいのだ。;
そんな言葉を世界中の子供達に贈りませんか?