映画「ジョーカー」を観て思うこと。京王線の事件。
ジョーカー男と呼ばれる人物が、10月31日に京王線車内で殺傷事件をおこした。
自身が死にたいという気持ちがあり、二人殺して死刑にあることが目的だったと供述していると報道されている。
無敵の男と呼ばれる防ぎようのない無差別殺傷行為は、今後も増えていくのでは?と不安に思う人も多いはずだ。私も私の家族もその中にいる。
ジョーカーという映画は観たことがなかったので、文化の日ということもあって映画鑑賞してみた。
ただただ悲しいという噂は聞いていたが、その通りだった。
あまりネタバレになることを書くわけにはいかないのかもしれないが、幼少期の虐待や精神疾患、貧富の差などさまざまな社会背景が悲劇を生む。
個人因子ばかりに目が行きがちだが、凶悪犯罪をおこすのは本当に個人なのか?その個人をうみだした社会の原因に目を向ける人はどれだけいるのか?
そんなことが問われる映画だった。
私は自分さえ良ければそれでいいと思ってしまいがちだが
自分がマジョリティからマイノリティになる可能性は全く否定できない、それは明日かもしれないし、もしかしたら数分後かもしれないのだ。
そうなった際に、それでも今と同じようにある種の安心を得られる社会で生活したいと願う。願ってばかりではどうかと思うので、微々たる行動もしていなくもない。
誰かの支えになることは具体的には難しくても
自分のゆとりから、ほんの少しくらいは差し出せることがあると思う。
それにしてもなんともいえない気持ちになっている。