生まれて初めて牛丼を食べた日の記憶
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
つい数日前のことすら覚えていないのに、どうしても忘れることができない日というのがある。
正確に言えば、その日を覚えているというよりは、その瞬間を覚えている。その瞬間があった日を忘れられないといった感じだ。
私の場合は吉野家の牛丼を初めて食べた日のことをはっきりと覚えている。
中学一年生の夏休み、友人の家に遊びに行った際に夕飯を食べてこいと、その友人の親からお金をいただき、男三人で吉野家に行った。
「うまいの?」という半信半疑の状態で、カップラーメンでもコンビニで食べて、お釣りをポケットに入れたほうが賢いと考えるタイプだった少年時代の私だったが
さすがにその日の仕切りは友人だったので大人しく意見せずに吉野家についていった
私以外は経験者だったので、「特盛」「特盛」と歯切れ良く注文。私も続くように「じゃあ俺も特盛で」と右倣えをした。
運ばれてきた牛丼を何も考えずにすごい勢いで食べ尽くしたわけだが、それはもう圧倒的にうまかった。うますぎた。すでに経験しているはずの二人も何度もうまいな、うまいよなと連呼し、特盛を食ったあとも「もう一回食いたくね?」など本気で話し合いがあるほどだった。
その話し合いに真剣に私が参加した理由としては
食べて終わる直前に、他の客が「並と卵」と注文したのを聞いてしまったからだ。
卵!
もう愚かだと思った。なぜ右倣えをしたのか?
ちょっと冷静に考えて、ちょっと落ち着いてメニューを見渡せばたどり着けたはずなのに
牛丼に卵、合わないわけがない。
さっき食べたあの、この世のものとは思えない美味しさの牛丼に、かき混ぜた生卵をかけて食べる。いったい美味しさがどれだけ増すのか?
興味の膨れ方がもはや発作的だった。
なもので、もう一回食いたくね?という議論に対して「食うでしょ!並ならいけるって」とかなり前のめりに主張した。
ただ、さすがにお金の問題もあったため、その場では実現しなかった。
とんでもない成功体験と挫折を同時に経験した、あの青春時代の夜を一生忘れない。
私の中にいつまでも残る、あの美味しさと悔しさ。
それから間も無く、私は吉祥寺という街で牛丼と卵を経験することになる。
その際は、吉野家と松屋が向かい合っている道を通ってしまったため、連続二軒行って並と卵を2回食べるという荒業を成した。
音楽は記憶に張りつくことは心理学的に研究もされているようだが
私は食と記憶について独自の研究を今も続けている
ひたすら食べるという研究はいつまでも結果の出ない、最高に取り組みがいのあるテーマだ。予算はかかるが。