「人生ここにあり」という映画が面白かった
イタリアの労働組合が舞台になっている映画
組合員は精神科病棟の入院患者たち
つまり精神病者ということになる
幻覚・妄想・薬の副作用などで働くことなどできないと
医療従事者たちから決めつけられている彼らを
外に連れ出し、「普通の仕事」をさせてお金を稼がせたり
いろんな体験をさせていく男の物語
イタリアは精神病院を撤廃して、精神障害者たちを地域で受け入れているそうだ。
日本は精神科病棟の入院患者数が圧倒的に世界一だそうだ。
グローバル化、多様化する社会の中で、精神障害者たちは今も病棟で隔離されなければならないのか?
私は幻覚・妄想・幻聴などを経験したことはないが
寝不足になったことはある
思うように寝付けず、睡眠時間1、2時間ほどで仕事に出かけなければならないということは経験した。そんな時は通常の精神状態ではない。もしそれが数日、数ヶ月と続いたらきっと社会生活が破綻するのではないか?と想像する。
例えばビールを飲んだ際はアルコールも精神作用があるので、気分が良くなったり、逆に気持ちが悪くなったりする。これもまた普通の状態とは呼べない。酔っていると呼ばれる状態になる。その状態では仕事をすることは許されない。車も運転できない。
しかしアルコールは飲まないという選択を自分ですることができる
精神病にかかると、自分で制御的ないことも出てくるのだと思う。
医療にかかる必要がある。そして障害があればそれを個人の責任にせず、社会が補えることが理想かと考える。
この国で障害者と制度上呼ばれている人たちは、自身で選択してその状態になったのではないからだ。私が自分で選択したわけでもないのに男として生まれてきたのと同じで、男だろうと女だろうと生きる権利がある。
障害があろうとなかろうと、この社会で差別されることなく、不自由なく暮らせることが望ましい。
社会保障とはそういったものだと認識して、税金を納めている。
私も明日、障害を抱えることになるかもしれない。
そんなときに、安心して暮らせる社会であってほしいと願うから
今のうちに社会人として、少し努力もしてみているわけだ。
そんなことを考えさせられる映画だった。