ただ二年間書くブログ

仕事あり、妻子あり、一戸建てローンあり、車もあるが裕福かと言われたらそうでもない。不自由だが幸せである、そんな気持ちを表せたら。そして自分らしさって一体どういうことなのか?どうでもいいけど真剣に、二年間毎日書くことが最大の目的であるブログ

正月の家庭で食べる寿司事情について

年が明けて何かを宣言しようかと思いがち

 

しかしここではそんなことはせず、いつも通りにたんたんと。

 

 

 

寿司について

 

正月に寿司を食べる人も多いと思う

この場合は結構な割合で自宅で寿司を食べているのではないか?

 

どこで寿司を買っているか知らないが

この自宅で寿司というのは、なかなかいろんな現象があっておもしろい

 

まず

誰だ何をどれだけ食べるのか?という正解のない答えを求めて戦わないとならない。

私たちは日本人なわけで奥ゆかしさというはがゆいDNAが組み込まれている

人数分のネタが綺麗に割り切れるように寿司を用意しているわけがない

誰かが多く食べ、誰かが少なく食べ、なんとなくうまくやれ、というのが正月の寿司模様。

最初っから一番好きなやつを食べるのか?

まずは遠慮がちに白身やエビ、イカなどをとって様子を見るのか?

まあ、家族だからそんなに気を使わずに言い合って食べればよろしいか

しかし親戚の子供たちがいくらを連続で食べようものなら、平静を装うことに無理が生じる

私は、周囲にどう見られるか?など気にせずに好きなものを好きなだけ、なるべく早く食べまくってしまう派だ。理由は十分に好きなものを食べたいからで、人からどう思われるかは優先順位が低い。;

 

次に

時間が経ちすぎている問題

もう、新鮮というのは絶対に求めることができない

回転寿司で二周目は取りたくない、なんて言っている人は

よく自宅で寿司なんて食べられるな、お前は食わなくてよくね?と伝えたくなる。

もういつ握られた寿司なのか全くわからない寿司が

食卓におかれて、いざ食べ出すまでにさらに15分とか待たされたり

もうこれ、口に入れていいものなのか?というほど鮮度は落ちている

それでも食べてしまうのが正月の自宅の寿司だ。それでも美味いのが不思議だ。

家で食うのが美味いのか。

 

最後に

お雑煮や、おせちなどと競合する。

これが一番厄介だと思う。

前にホームパーティーで手作り料理を持ってくるのは迷惑だという記事を書いたが

正月にもこれが起こる。

 

せっかく寿司があるのに、他の手作り料理を出されると

両方食べなきゃならず、なんか家庭感が強まり、外から買ってきた料理を食べる特別感が薄まる。お互いの良さが交わらずに消しあってしまっている現状だ。

そんなことはない、という意見の方とは食に対する価値観が違うのだと思う

私は外食は外食、家食は家食できっちりと線引きをしたい。

別に惣菜のコロッケが食卓に並んだっていいし、それと手作りの味噌汁で夕飯を済ませることに抵抗はない。

 

しかし正月やクリスマスなどで宅配ピザや寿司など、普段家庭に入ってこないような特別な空間は手料理を混ぜたくない、ということだ。

 

正月の寿司は単独行動することはほぼないのではないか?

 

 

今年は自粛傾向で寿司屋は儲かったのか?

帰省する人も減ったから新年会もせず、寿司の需要も減少傾向なのではないか?