手帳はもう一生持たないと断言できる。
今週のお題「手帳」
私は手帳を持ったことがない。
なので、年明けや新年度に手帳を新しくして心機一転なんてことを経験しないで生きてきた。
正確には手帳は買ったことがあるし、それでスケジュールを管理したり日記をつけたり、クーポン券を整理したり夢見たこともあったが、本当に三日坊主で終わってしまった。
手帳を開いて予定を確認するという行為に憧れはあった。できる人の条件のようにも感じていた。故に私は手帳を使いこなすこと三日で諦めたときに挫折感を味わった。
何か自分に障害のようなものがあり、その特性上の理由として手帳での管理が向いていなかったのもしれないと思ったりもした。
使わなくなった一番の原因として
手帳を持っていない時に限って手帳が必要な場面に出くわしたということだった。
手帳だけはいつも肌身離さず持っているという生活は実現できなかった。
ポケットに携帯と財布と鍵は必ず入れているが、手帳はやはりカバンにしまっていたので、カバンを持ち歩かなければ必然的に手帳も持ち歩かない。
仕事中にカバンを持たずにちょっと外出するようなこともあるわけで、そんな時に限って携帯が鳴ったりして予定の確認が必要になる。手帳はない。
携帯の機能でスケジュール管理していればその場で予定を確認して返事することができる。パソコンとも同期できる。圧倒的に便利だ。
手帳なんてもはや不便を楽しむためのアイテムなのではないか?と思っている。
不便だからこそ使いたいという心理はわからなくもないので、手帳を使う人を否定はしない。
私はiPhoneとGoogleがあればほとんどのものが不要だとすら思ってしまう。
もう今は手帳を使いこなす人間に憧れは抱いていない。
手帳は私には一生不要なものだ。