ただ二年間書くブログ

仕事あり、妻子あり、一戸建てローンあり、車もあるが裕福かと言われたらそうでもない。不自由だが幸せである、そんな気持ちを表せたら。そして自分らしさって一体どういうことなのか?どうでもいいけど真剣に、二年間毎日書くことが最大の目的であるブログ

家でたこ焼きするときにめんどくさいこと。

上半期が終わろうとしている。私の食欲も下半期突入か?

 

意味不明なことを書いてしまったが、ちょっと疲れ気味なのだ。

食欲がないというほどでもないが絶好調とは言い難い。今すぐ牛丼だろうが家系ラーメンだろうが貪るように食べることができるが、心の底から欲していないという状況だ。

 

季節の変わり目、夏の疲れがでるころ

いろいろ理由はあるのだろうが、一年中元気いっぱいという人間ではもともとないから低空飛行もちゃんと操縦しようと思う。

 

というわけで特に写真はないが

 

先日、家族でたこ焼きパーティーをした。

千円ちょっとで購入した自宅用のたこ焼き器が久しぶりに活躍した。

およそ百個分の粉を買ってきて、タコとウィンナーを用意した。

おそらく私が六十個くらい食べたと思う。

 

焼くのがめんどくさいと思うレベルは素人。

本当にめんどくさいのは、いちいち鰹節と青のりをかけなければならないということだ。

焼けたら皿によそってようやく食べられるので、ソースかけてマヨかけて、その上さらに鰹節と青のりもかける。これが手間だ。特に青のりは神経を使うのでやっかいだ。雑にやると事故も起きる。

焼けたら串で掬ってそのまま食べたいというのが本音だ。今度開き直って焼けたらたこ焼き器の上でソースとかあれこれ全部かけてしまおうかな?もっと面倒なことになるかな?

 

とりあえずの秘策としては、皿に鰹節と青のりはもう適量よそっておく。

たこ焼きをさらによそったらソースとマヨだけ上からかけて、あとは鰹節と青のりのエリアをたこ焼きで撫でてから食べるという技。これだけでも結構楽になる。

 

クソどうでもいい記事だ。

ご飯大盛り無料ハラスメントの事例紹介

ご飯大盛り無料ハラスメントとは

定食屋、弁当屋等で「ご飯大盛り無料」と高らかに掲示したり

当然大盛りにしますよね?というテンションで定員が客にすすめることで

小心者で少食な庶民が食べたくもないご飯大盛りを注文しなければならない空気を感じてしまう不幸である。

 

まあ、私としては知るかよそんなもん。と一蹴するのだが。

 

本日、ちょっと想像の斜め上をいく出来事に遭遇したので記そうと思ったのだ。

 

何度もリピートしているお弁当をいつもの如く注文して食べた。

そこはご飯大盛り無料なので、当たり前のようにいつも大盛りを注文していた。

私にとってはもはや大盛りがデフォルトだったので、毎回何も疑わずたいらげて、美味しい、幸せと心の中で叫んだり、もっと食いてえ、次回は二個食うか?と考えるばかりだ。

最近は普通で注文して我慢してみたり、我慢できずに大盛りにしてみたり行ったり来たりしてたのだが、今日は大盛りにしたのだ。

 

何が起きたか?というと、ご飯の量が多すぎたのだ。

最初は気づかなかった。

蓋を開けても気づかない。

一口食べた後も気づかない。

途中から様子がおかしいことに気づいた。食べても食べてもご飯が減ってない?

半信半疑だった。

しかし食べ進めるにつれて、バランスがおかしいことが否めなくなってきた。

正直いうとオムライス弁当だったのだが、いつもなら卵とソースとご飯のバランスがちょうど良いのだ、何も考えずにパクパク食べていればピッタリ全てが無くなる。

今日のはどうしたってご飯が多すぎて、いつも通り食べていたら途中で卵もソースもなくなってご飯だけが余ってしまう。

途中で気づいて、食べ方を軌道修正したがすでに時遅しで、最後の方はもはやオムライスを食べている感覚になかった。

 

これなんだ?一体。

 

店員はなんでご飯の量バグった?

 

絶対にいつもと比べて明らかに異常な量だった。

食べてしまったので後から文句を言うわけにもいかないし

多かったのだから文句ねえだろうという反論もありそうだ。

 

多い分には得、というこの感覚実は間違いで

やはりちょうどいいのが一番美味しいのだ。先に書いたがバランスが崩れたら最後は美味しくないのだ。結局お腹は満腹になったが満足度は普段より低い。

だから過剰に大盛りにされたからといって喜べない。

 

この突然の強制大盛りハラスメントは、完全に私を被害者にしてくれた

訴える術もなく、泣き寝入りだ。

世の中にこんな事例があることをここで広めることがせめてものカウンターなのだ。

 

ご飯大盛り無料に気をつけろ。

 

麺増量無料もついでに気をつけろ。

ピザハットの特うまプルコギはパンピザだから美味しい。

今週のお題はてな手帳出し

手帳は買わない。スケジュールはiPhoneのカレンダー機能で事足りるからだ。

 

それよりもピザハットの特うまプルコギは美味しい。

宅配ピザ全種類を食べたことがあるわけではないが、たぶん一番美味しい。

初めて食べたのはどれくらい前だか忘れたが、これは最高に美味しいと感じた。おそらく四種類味わえる内の一つに含まれていたのだろうと思う。

しばらくはそのプルコギが含まれる四種類のピザを注文リピートしていたが、もう結局はこれ一択でよくね?となり特うまプルコギだけを注文するようになり

そして家族を持つようになってからも特うまプルコギを2枚という注文の仕方に定着した。

 

それくらい強力に美味しいさを放っている。

 

ピザ、というジャンルにおいてはプルコギはそれほど王道ではないと思うのだが、この宅配というジャンルにおいてはピザハットの特うまプルコギは最強の座についている。結局類似品も出回ったが本物には敵わない。

 

食べたことがない方にはおすすめしたいが、残念お知らせがある。

 

昨今の値上がりが影響しているのか知らんが、今日注文して食べた特うまプルコギは、肉もヒゲもかなり少なかった。

もちろん久しぶりに食べて美味しいと思ったのだが、確か昔はもっともっと肉もヒゲもたくさん、こぼれるほどに乗っていたような気がする。

記憶が美化されているのかもしれないのであまり強気には言えないのだが、特うまプルコギを好きになったのは20代の頃だったと思うので、その若さで今日の肉の量ではきっと納得いかないと思うのだ。

 

ちなみにヒゲというのは、説明が難しいのだが一緒に乗っているのヒゲのようなものだ。あれなんだ?わからん。

 

とにかくピザハットの特うまプルコギは宅配ピザ業界で最強の美味しさを誇るが、一昔前に比べると肉とヒゲのボリュームが衰えたのではないか?という個人的な感想だ。

 

最後に

 

そんなにいうのなら食べてみたいと、初めて注文する方がいた場合は、必ずパンピザで注文してほしいと切に願う。クリスピーでは美味しさが半減してしまうと考えている。

あのふっくらとしたパンピザとの相性で美味しさが担保されていると私は思っている。

すき家のにんにくファイヤー牛丼を食べた感想

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私はいますき家にいて、朝ごはんとも昼ごはんとも言い難い食事を終えたところだ。

食べ終えたらとっとと出ていけば良いのだが、次の予定まで変に時間が空いており、店内も涼しく空いているのでこうして一息つかせていただいてる。

 

画像は「にんにくファイヤー牛丼」なるもので初めて食べた。

 

これを食べたかった理由としては、ここ最近疲れを強く感じており、スタミナをつける目的で何か食べようというのが一番。

そして単純に旨そうだと思ったから。

 

ニンニクが丸ごと7個くらい入ってて、辛い粉もかかっている。肉も多かったのでお腹は大満足だ。

味は、そうだな。

あまり素敵なハーモニーになっているとは思えなかった。ガツガツ食べる作業をした感じで、一口ずつおいしさを噛み締めたというのとは違う。

 

松屋の牛丼頭の大盛り+卵の方がやはり美味い。それは仕方ない。

 

あとはこのあと私が元気になれるのかが重要だと。身体に良いものを食べたという気が全然しない。

 

このあとはまた体力を使うのに。

すき家のねぎ玉牛丼をあまり食べなくなった理由

ねぎ玉牛丼大盛り

20代のころ、生まれて初めて渋谷ですき家に入った。

当時は牛丼は松屋吉野家しか許していなかったし、すき家もそれほどまだ多くなかった。

渋谷にいたのだから探せば吉野家松屋もあったはずなのに、なぜその時わざわざすき家を選んだのか覚えていないが、メニューをみて「ねぎ玉牛丼」なるものを見つけてすぐに選択した。これは食べる前から美味いに決まっていると直感的に信じた。

今でこそ吉野家松屋にも類似するメニューがあるが、当時は画期的だった。

一口食べたときに誰かと握手したくなった。心の中でガッツポーズもした。

それ以来は私はしばらく長い間、すき家しか行かなくなった。ねぎ玉牛丼しか食べなくなった。かなり長い間だった。

結婚式場に向かう際もすき家のねぎ玉牛丼を食べた。

息子が生まれて、病院から一人深夜に帰宅する際もすき家のねぎ玉牛丼を食べた。

3.11の日は自宅に帰れなくなり、すき家の食べラーメンマ牛丼を食べた。その時はそっちにハマっていた。

 

いったいこれまで何杯食べてきたのかわからないすき屋のねぎ玉牛丼だが、ずいぶん選ばなくなった。

 

昨日、久しぶりに職場近くのすき家に入り、普通の牛丼でもなく、うな牛でもなく、ねぎ玉牛丼の大盛りを食べた。

相変わらず美味しかった。何の不満もなかった。

 

しかし、なぜだろう?

また今度同じものを注文するかといえば自信がない。

松屋の牛丼あたまの大盛りと卵を食べたいかもしれない。

吉野家にっても同じような気がする。

 

一つの理由として、ねぎ玉牛丼を食べる時に私は紅しょうがを使わない。ということ。

これはずっと昔からそうだ。なんか合わないと思ってしまったのだ、最初から。

食わず嫌いでもあったので、一度試してみたがやはりしっくりこなかった。味が引き立たないと感じたのだ。

好みは人それぞれで当然だが、私はねぎ玉牛丼に紅しょうがは絶対に入れない派だ。

そしてノーマルの牛丼に紅しょうががないのはとても許せない。

 

私はきっと紅しょうがを食べたいのだと思う。

牛丼が食べたい時に、同時に紅しょうがも欲しているのだと思う。

だから、どうしても紅しょうがと合わないねぎ玉牛丼を遠ざけてしまうようになったのだろう。

 

いや、それなら最初からそうじゃないのか?牛丼に紅しょうがを合わせるようになったのは最近のことではない。13歳からずっとそこそこ多めに入れて食べ続けた。

 

きっとあの渋谷でのいっときは、自分が紅しょうがを欲していることに気づく前だったから目新しいねぎ玉牛丼に食いつき、そのおかげで紅しょうがが遠ざかるということに鈍感だったのだと思う。

 

私はきっとねぎ玉牛丼に浮気していたのだと思う。

そして目が覚めて元さやに収まったのだと思う。

元さやとの関係性は良好だったのだが、昨日はなぜかまた浮気相手を呼び出してしまって関係を持った。そこに退屈は感じられなかったにしろ、当初のような刺激的な関係も認められなかったということだ。

 

答えはやはりノーマルの牛丼あたまの大盛りに卵、紅しょうが、七味ということになる。

 

それが私の人生の伴侶となることだろう。

あの渋谷での一夜を超えるような出会いが今後牛丼業界から巻き起こるのだろうか?

マクドナルドでいえばビックマック

ラーメンで言えば家系のような、私を「これさえあれば後はいらない」と思わせるような一品が生まれるのだろうか?

 

自分で編み出すことはできない。ずっとそれでいいと思えるものなんて創り出すことはできないのだから。

 

家系牛丼。なんのことだかわからない。

勝手につゆだくにされた牛丼について考える

 

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松屋に行ってきた。

牛めし頭の大盛りと卵を注文して画像の通り、ヨダレが出るほど美味しそうな商品が提供された。

 

基本的には満足しないことはない。必ず美味しい!幸せな気持ちになる。また絶対来よう!それまで生きよう!働こう!という気持ちになる。

 

ただ、どうしても人の作業だからか、牛めしの出来上がりにはばらつきがある。

それはそうだと思う。厳密に言えば全く同じ牛めしは存在しない。米粒の数や形、肉の枚数や大きさなどが全て同じにすることは不可能だ。だからグラムで管理して提供する。それが牛めしだ。そして牛丼なのだ。

 

それはわかっているのだが、時々明らかに「これはつゆだくの類いでは?」という個性に遭遇することがある。

普段より確実につゆだくよりの牛めしが出て来る時がある。今日もそうだった。

 

実はつゆだくは好きなので、それはそれで嬉しいと個人的には思う。

松屋は券売機and自動オーダーになり、つゆだくの頼み方が難しくなっていたこともあり、わざわざ自分から店員に詰め寄り「〇〇番の牛めしつゆだくで!」と伝える努力まではしないわけだ。

 

なもんで、勝手に汁だくになって出てきた場合はラッキーだと思うのだが、それでいいのか?松屋よ!?という気持ちもある。

私がたまたま偶発的つゆだくを肯定的に受け入れるからといってガチャ状態を放置して良いのか?

つゆだくを好まない客だって少なくはないはずだ。この問題とても根深いはずだ。きっと松屋だけでは解決策が尽きているのだと思う。統一されたクオリティの商品を提供するための企業努力を行っているに違いない。

 

しかしまだばらつきはあるぞ。

勝手につゆだく防止委員会を察知して原因の究明から解決策の提案、実施と検証まで早急に行うべきだ。

 

できれば外部機関が良い。

 

私も声がかかれば参画したいと考えている。

バイキングで食べる意味について

 

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これはリゾートホテルのバイキングで食べることができたローストビーフ

 

43歳のなり、食欲は衰えなくとも入る量はかく実に減ってしまっている。

たくさん食べないと勿体ない、という実に馬鹿馬鹿しい思考が変えられないので、バイキングに行くと最後の晩餐だと思って死ぬほど食べる。

 

本当に心の底から美味しいと感じるのは最初ワンプレートだとわかっている、ローストビーフもこの日は4回お代わりしたが、もはや食べたくて食べているというよりは、まだ何とか食べられるから食べておく。といった感じだった。

愚かだ。

 

しかし、美味しいものを制限なく食べられる機会は幸せだ。恵まれた人生だ。この瞬間のために日々、道を踏み外すことなく真っ当に生きる意味がある。

ちゃんと美味しいものを食べられる人生をできる限り永く続けたい。だから悪いことはしないでまじめに働いて、人に感謝して生きる。

 

これに尽きる。

 

ちなみに、チャーハンや麻婆豆腐があるバイキンが好きだ。和洋中バイキングっていうのかな。

最後にカレーと麻婆豆腐かけチャーハンの一騎打ちなるのがド定番の流れだ。

 

腹減ってきた。

 

今日は土曜日、まだ朝から何も食べていない。