時間と言うものを哲学してみる。
言うまでもないが、時間と言うものは平等だ。
誰にとっても1日は24時間しかない。その24時間と言う限られた時間の連続を人生と呼ぶのか?
時間は平等だが人生は平等だとは思わない。
裕福な人生を送るものもいれば、貧困で苦しむ者もいる、他者を傷つけ牢獄で暮らすものもいる。
平等に与えられた時間をどう使うかによって、人生は大きく左右する。
大人になると大概の人が忙しくなる。寝る時間が少なくなったり、自分らしく過ごす時間も少なくなる。それは仕事のせいであったり、家庭のせいであったり、もしくは自分のせいでもあったりする。私もそんなふうに時間が足りない人生を送っている1人だ。
今私がこうして月曜日のそれほど遅くない時間にもかかわらず、ブログを書いていると言う事は
そうするだけの時間を確保できたと言うことに他ならない。そのために何かを犠牲にしたのかもしれない、あるいはその時間を確保するために普段発揮されない力が発揮され、結果としてこの時間を確保したのかもしれない
いずれにせよ、私には今時間がある
できることなら早く過ぎ去ってほしいと思うほど持て余している時間が今ここにある。
なので結論を急ぐ必要は無いのだが
早い話が
要は
せっかく定時に上がったにもかかわらず
職場に自宅の鍵を忘れてきてしまい
妻が帰宅するのを庭で震えて待っていると言う話だ。
あー寒い。しかしなぜか缶麦酒を買ってきてしまって飲んでいる。肴は星のない夜空と静寂。
時間が足りない人生を送る諸君よ
時間を持て余せばろくなことがないぞ。気をつけろ!