松本人志を長年支持してきた心情の変化
松本人志さんを初めてみたのは中学一年生のころだったと記憶している。
当時、友達の家に泊まりに行って夜更かしするのが楽しくなっていたのだが
深夜番組にダウンタウンが出ていて、友達と一緒に観たのだった。
その時は松本人志の印象よりも番組中にタバコを吸っている浜田雅功の方に驚いたことを記憶している。
それからごっつええ感じなど観るようになり、関西弁やきつめでどっか悪そうな感じが中学生にはかっこいいと思えて仕方なかった。
以来30年以上にわたって松本人志を好きでい続けているわけだが
ついに彼で笑うことが難しい時代に入ってしまったようだ。
真実は現時点でわからないとしても、今のような状況ではもう心の底から笑えない。
まっちゃんはやってない!って信じられるほど盲目的ではないし、むしろ悪さしてそうなところに魅力すら感じていただけに。。
事実無根だったらいいなという願望はあるけど、願ってどうするのか?ということでもある。
今後どうなっていくのかよくわからないし弁護士や芸人のコメントが情報として入ってくるのも本当に面白くない。
一つ自分の人生がつまらなくなってしまったように感じられて寂しい。
代わりになるようなものはない。
なんとも悲しい気持ちになるものだ。
君たちに人の心はないのか?と言いたかった夜に
先日、とある会議に出席していた。
私と部下の他に7社が出席し、毎月定期的に話し合いを重ねている。
私はとりまとめをずいぶん長くやり、一度担当を降りたのだが訳あって部下をつれてまたその会議に参加することになっている。
とりまとめや進行はよその若手がやるようになり見守っているような立場だが、この世の地獄とも呼べるような沈黙が大半を占める会議だ。
司会が進行するという役割を放棄しているとしか思えないような状況だが、おそらく司会は頭の中で必死にいろんなことを考えており周りが見えなくなってしまうタイプの人間。そして周りはそれにうっすら気づいていながらもどうしてよいかわからずただ黙っている。
時間が経つと司会から「○○さん意見ありますか?」と振られた者が頑張って発言してみるもシーンとする。司会が発言をおうむ返しすることもなく、他者がその意見や発言に賞賛したり反論することもない、ただ地獄の時間が流れる。
時々耐えられなくなり私が切り裂いてみるが活性化はしない。司会を奪うところまでしたくないと一応我慢しているがそれが正解なのかわかっていない。アドバイスをしてあげたい気持ちも強いが、よその会社の若手に言える立場であるのかも疑問。
まあそんなことは長い前置きで
今回の憤りは、その会議の最後におこった事なんだが。
議題が終わり何かその他アナウンスや近況報告があるか?という時間になった。
リアクションが薄いのはわかっていても私は毎回ここでPRしたい企画などの告知をしたりチラシを配布するようにしている。他のものは誰もやらない。一度もない。
しかしこの日に限ってはよその会社の一番若いものが今月いっぱいで退職するので、この会議に参加するのは今日で最後になる。別業種への転職のため今後関わることもなくなるとのこと「短い間でしたがお世話になりました」と挨拶があった。
なかなか気まずくて言いにくい内容だったはずだ、その日はじめて口を開いたのが退職の挨拶だ。そして例の如くその退職の挨拶に対して誰もないも言わないという信じられない事態が起きた。
さすがにそれはないだろう!と私はすぐさま「次はどんな業種なの?」「短い間でもありがとう、お疲れ様ね」と発言をした。そしてその後に誰が続くわけでもなくまた沈黙が起こり司会が「それではまた次回」と締めた。
その場にいるものたちは本当に人間なのか?と信じられない気持ちになった。
一番立場が低く若いものが言いにくい内容を勇気を出して発したことに、どうして何も反応しないなんてことができるのか?
どんなに短い期間でも共に何かを創り上げた人に贈る言葉がないなんてことがあるのか?
私には信じられなかった。自分の同僚にも憤った。パワハラだと訴えられても良いと思って「なぜ黙っていられるんだ?教えてほしい」と帰りの車の中で質問した。
部下は「あ〜、ちょっと言葉が出てこなかったですねえ」と苦笑しながら答えてくれた。
それ以上は責めたりはできない。出てこないものを出せ!とは求められない。
そのものを私は違う人間なのだ、違って当然だ。
それにしても他の10名弱も全員そうか?口を開いた私が異質すぎる?なんでだ!
頑張って働いて辞めていく、そして丁寧に挨拶したものに、たった一言でも「お疲れ様」と言ったら異質か?そんなわけないだろう
もっとその場「みんなからもなんかないのかよ!?」「それでも人の心を持ち合わせているっていえるのか?」と吠えたら良かったか?と後悔すらしている。さらなる地獄を生み出すだけだろうが、私の気持ちはいくらかマシだったかもしれない。
しかし退職するものはそっちの方が勘弁してほしいだろうな。
ぐぬぬぬぬぬ。なんなんだ本当に。また来月も顔合わせる連中なだけに気持ちに整理をつけないと次回こそアンガーマネジメントしきれない自分になりかねぬぬ。
祝!iPhone15Pro購入、そして36回払い生活突入
私はiPhone4,5,6Plus,7Plus,11と使ってきた。
キャリア替えするとお得に最新型が手に入る時代は良かったが、7Plusを購入した後はそういうことが難しくなり同じ機種を限界まで使い続けるようになった。
そして11が限界を迎え15Proを手に入れた。
チタニウムブルー256GB
マスクしたままでもFace IDに対応
5Gに対応
カメラの進化がエグい
動画編集して保存する際の処理速度が爆速
などなど大満足しているが36回払い。お小遣いから毎月5000円弱支払う。
長い旅が始まった。
しかし時代の最先端・最新機種を手にしているというのはこれほど気持ちが良いものか?と数年ぶりに悦に入る。11を買ったときは12が発売したばかりで型落ち購入だったのだ。
私はこのiPhone15Proを使ってどれだけの写真を撮るのか?
どれだけの動画を編集するのか?
どれだけのキャッシュレス決済をするのか?
どれだけ歩いてポイ活するのか?
どれだけ通話機能を使うのか?
どれだけブログを書くのか?
今の所わからないけど、可能性は無限大だ。
おそらく現代の生活で一番重要とも言えるスマートフォン
一番重要なものは一番効果で性能が良いものにして間違いないだろう。
よっしゃ!次は寝具気合い入れてみるか!?
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今週のお題「ゾッとした話」
頑張って9キロ落とした体重が7キロ戻っていたことに気づいた。
まあ、本当に好きなだけ飲み食いしていたので戻るほうが自然だとは思う。
なんなら3月は仕事が忙しすぎて不眠傾向にあったので、せめてカロリーだけでも多めに取ろうと意識的に食事量は増やしていた。
それも原因の一つだとは思うけど、一番はやはりビールを糖質ゼロから普通のビールに戻したことなんじゃないかと思っている。
昨年の夏はふるさと納税でキリン一番搾りの糖質ゼロを48本購入した。それを飲む生活になれていた。
しかしいつからだったか、今日はプレミアムモルツ、今日だけマルエフなんて具合に梨崩して行った。
そして今夏は府中市に納税してプレミアムモルツを48本購入。当然すでに飲み切ってしまいそのまま毎日糖質ゼロではないビールを飲み続けている。
ゆえに現在の体重が70キロジャスト。
昨年10月に職場で健康診断を受けた際に叩き出した記録は63.8キロだった。私の身長から計算すると、あと数百グラム落としたら「モデル体型」と言われる状態だった。
私は気をよくしていた。顔面はさておき、筋肉もさておき、身長と体重だけの比率でいうとモデルに一歩及ばずくらいまで40を過ぎてたどり着いたのかと。
しかし十ヶ月後の現在は見るも無惨なリバウンドを起こした状態だ。
あれ、これそんなにゾッとした話でもなかったな。
今もビール飲みながら書いているしな。夏はビールが美味しいので満喫したい。またおいおい体重は落としていこうと思う。
そしてこのブログ、またちょいちょい書き残していく所存であります。
ただ二年経ってしまったこのブログの未来はあるのか?
今週のお題「マイルーティン」
二年前の10月5日にこのブログをスタートしたので、今日で丸二年経ってしまった。
二年間毎日記事をあげ続けることはできなかった。
収益化もできなかった。
二年続けることはできたのか?
結局、最近は気が向いた時だけどうでも良い記事を書くだけになってしまった。
読まれるように書くことを心がけるとスタートしたはずだったが、どうやらできなかった。
二年間続けた先に何が見えるのか?とスタートした。
この二年間で得たものは、はてなブログ公式のTシャツだ。なぜか記事が紹介され、プライズをいただくことができた。この出来事はとってもびっくりした。
おかげで、読者が少しだけついた。
二年続ければそういうことが起こることがあると知った。
今後どうしていくのか決めてない。
スパっと二年間で辞めるのも良いと思った。
新しく別の何かをスタートさせてもいいかもしれない。
意味のないことを続けることは意味があるのか?
無駄なことほど人生に必要だと歌うアーティストもいる。
私は何も決めていない。
私はどうでもいいと思っているのだ。
からやまの「からあげカレー弁当」は箸で食べると美味しい。
先日、からやまでこの商品をテイクアウトして食べる機会があったのでレビューしたいと思う。
まず、死ぬほど美味かった。
食べたのは昼間。昼間に食べるカレーは一番美味しいと私は思っている。
かつやのカツカレーが世の中で一番美味しいカレーだと思っているが、この「からあげカレー弁当」はテイクアウト界で天下を獲ったのではないか?と思うほど美味しかった。
容器はご飯、カレー、大判からあげの三種類セパレートになっているので
最初はからあげとご飯で食べたりすることも可能である。私はそんなことはしない。
ご飯にからあげを乗せて、上からカレーをかけてしまう。
ここで重要なことがひとつ
スプーンではなく箸で食べるのだ。
弁当と名のつくものは基本的に箸で食べる方が美味しいのだ。
カレーは普通スプーンでしょ?と思う気持ちはわかるのだが
この「からあげカレー弁当」は割り箸でストレスなく食べることができる、奇跡のカレーライスに仕上がっている。
スプーンで食べるカレーは飲むように食べることができるのでその魅力も否定はしないのだが、大判からあげの入ったカレーをスプーンで食べるとき、スプーンはすくうだけの役割でとどまることはできない。大判からあげを一口サイズに切るナイフとしても機能しなくてはならなくなる。弁当についてくるプラスティックのスプーンではその機能を期待することは愚かだ。
ではナイフとしての機能は諦めて、スプーンで大判からあげをすくって一口かじればいいんじゃね?と思う方がおられるか?
一度やってみろと
それは美味しいカレーの食べ方から離れていくことがわかる。
そうじゃないんだって。
カレーっていうのは、スプーンですくった一口は一口で収めなければならない。
すくってかじって戻すなんてことはしない決まりになっている。
だから「からあげカレー弁当」をスプーンで食べても美味しくないということなのだ。わかれ。
で、箸の話に戻るのだが。
箸で食べる際は、箸で大判からあげをつまんで一口かじり、からあげを置いたらカレーのかかったご飯を口に運ぶ。
さっきのスプーンの話と矛盾するようだが、箸にかぎって許される食べ方だ。
この、カロリーと塩分と油の化け物を箸で上品に食べる所作を「やっつける」と呼ぶ。
カレーのかかったご飯を箸で食べることに不安を覚えるか?抵抗があるか?
一度やってみるといい、思った以上に普通に食べることができる。余計な神経は使わず白飯を食べるのとなんら変わらず箸で食べられるから。
最後に
弁当だから!というところを強調しておきたい。
実店舗で食べる際は普通に皿によそわれて出てくるわけで、それは箸で食べる必要もなく普通にスプーンで食べればいい。しかし実店舗にはイカの塩辛があることや、定食には味噌汁もついてくることを思い出せ。そうするとカレーという選択ではなく油淋鶏定食一択で決まりなのだ。異論は認めない。
だからこそテイクアウトの際、この「からあげカレー弁当」が際立つという話なのだ。
食べたことがない方にはぜひ一度トライしてほしい、箸で。