松屋の頭の大盛り、米は隠してくれ
松屋の牛丼が特に食べたい!という日がたまにある。
頭の大盛りと生卵を注文する。
紅生姜と七味を使う。
卵には焼肉のタレか、醤油を垂らす。
至福の時間となる。
しかし、今日の頭の大盛りは肉が少なかったような気がしてならなかった。
写真でも載せると共感してもらいやすいのだが
丼によそわれたぎゅう丼を覗き込むと、肉の隙間から美しい白米が光り輝き眩しかったのだ。
美しいものを見て残念に思うという場面にはなかなか遭遇できない。
美しい女性を目の当たりにして「どうせこんな美女にとっては、自分なんか視界にすら入っていないだろう」とガッカリするようならマイナス思考が過ぎる話だ。
いや、肉が少ない!って話なのだ。
仮にも大盛りと商品名につけているのだから、肉で隠れて米が見えねえ、というのを期待してしまう。
現に期待に応えてくれた店舗があったのだから私の合格ラインは上がってしまっている。
店員さんもプロなので、それほど大きな差を生み出すはずはないし、店員さん個人よりも松屋の業務標準化の仕組みにはきっと私なんかが文句のつけようがないほど秀逸なはずだ。
だから気にしすぎなのかもしれない。
でも
やっぱり
頭の大盛りだろうと、特盛だろうと、肉の隙間に米が見えてしまったときのガッカリ感といったらない。
マクドナルドでフィレオフィッシュの包み紙を開けたらパンがシワシワだったことはないか?
あれだってそれなりにガッカリするけど、別に量は変わらないし、味だってまあ美味しい。
肉の量は譲れねえんだ!
私は店員を呼びつけて肉が少ないから盛り付け直せとクレームを言うような人間ではないので、結局はすぐに細かいことを気にしてしまう器の小さい自分の問題と捉えてその場を処理してしまう。
松屋の丼も私の器くらい小さければ米も隠れてるだろうが、それでは別に物足りないだろう。
結局は今日の一杯も最高に美味しかったのだ。それでヨシとすべきなのだ。