ただ二年間書くブログ

仕事あり、妻子あり、一戸建てローンあり、車もあるが裕福かと言われたらそうでもない。不自由だが幸せである、そんな気持ちを表せたら。そして自分らしさって一体どういうことなのか?どうでもいいけど真剣に、二年間毎日書くことが最大の目的であるブログ

たまごの殻を割らなければオムレツは作れない。

無傷で何かを得ようとするなということらしい。

 

やってみなきゃわからない、やらずに後悔するよりやって後悔しよう

恐れていたことでも終わってみたら大したことではなかった

食わず嫌い、やらず嫌い

 

人はデメリットを感じたときに目の前のことを避けようとするかもしれないが、そこで避けてしまえば手に入るはずのことや、経験できたはずのことが失われるのだ。それが何よりの損失なのではないだろうか?

 

知人に、とても踏み出すことが苦手な者がいる。

私としては「ぐちぐち言ってないでやってみたらどうなんだ?」「やりもしないで何を最初から逃げているのだ?」と声を荒げてしまいそうなところなのだが

実際には相手の踏み出せない気持ちに寄り添い、共感できるように努めている。

 

きっと無理なのだ。

 

私だったらこうする、ということが他人には通用しないこともある。

思ったことを何でも言ってあげるのは親切なのか残酷なのかわからない。

しかし、私に言われてやったということにしたいと思わない。どちらに転んでもそれはあまり良くないと考える。

 

失敗した場合は私のせいになる。

成功した場合は私のおかげになる。

これはどちらも良くない

 

自分で考え、自分で決断して行動できたほうが

失敗しても自分の責任

成功しても自分の勇気

というほうが良いと思ってしまう。

 

人の相談に乗る時は助言をしないつもりでいる。答えはきっとその人の中に隠れていて、こっちが余計なことを言わずに聞いていれば、自身でその答えを見つけてくれるはずなのだ。経験上そう思う。

 

時間のかかる人もいるとは思うが、個人差はあって当たり前なのだ。

ちょっと聞いてもらってスパっと決断する人もいるが

何回も同じ悩みで相談され、結局いつまでたっても答えが出ないという人もいるだろう

 

たまごの殻を割らなければオムレツは作れないのだ

 

そんなことを他人に私が言うこともない。

オムレツを作りたいと相談を受けたら、まず何をするのか?本人に問うだけだ

答えがわかっていてもたまごの殻を割れない人がいても別に良い

そこで代わりに割ってしまえば、その人はいつまで経ってもオムレツは自分で作れないのだからな。

 

いや、そんなこともないか。ちょっと言い過ぎた。