一生忘れられない京都のそうめん
今週のお題「そうめん」
「今日のお昼はそうめんよ」
この言葉がもつ絶望感
わかっていただけるだろうか?
夏はそうめん、一体どういうプリンティングなのか
うまいか?
ラーメン、そば、うどんにどれだけ劣るか冷静に考えたことがあるのか?
サっと作れるお手軽さ
いやいや、冷凍うどんだって同じだろう
清涼感
全く理解できん
確かに、ちょっとなんか食べたいだけの昼飯なら
そうめんという選択肢もないこともないが
夏はやっぱりそうめんだような〜なんて有り難く思われるレベルに押し上げられているのが意味わからん。
とりあえず、別にそんなに美味しいもんじゃねえだろう。
めんつゆのクオリティに依存しすぎるし
大葉や小ネギなどの薬味がなければ壊滅的だ
それらを用意しようと思ったらお手軽感も失われるんじゃねえか。
私はそうめんがそんなに好きではない。
という話だったが
そんな私でも一生忘れないそうめんの味がある。
中学3年生の修学旅行で京都に行った際
流しそうめんを食べさせてもらったことがあり
その頃にはもう立派に「なんだよ結局そうめんかよ」とアンチそうめん派に仕上がっていた私だったが
一口食べて、それが今まで生きてきた中で味わってきたそうめんより格段においしかった衝撃を今でも覚えている。
あれはめんつゆもだし、コシもだし。なんかめちゃくちゃうまかった。
もう二度と味わえることもないのだろう。家庭の味しか味わえない。
あれは幻だったのだろうか?
ちなみに最後に強調したいが
友達と一緒だったからとか
思い出補正とか
そういうレベルじゃなかった
はっきりとした美味しさがそこにあった。